はじめまして。愛着バランスメソッド/心理カウンセラーの森田裕貴(もりたひろき)です。
他人に気を遣い過ぎて、自分の人生を生きている実感を感じられない方。
周囲の思惑等に振り回され、自分の心や感情とゆっくり向き合えていない方。
忙しい日々を送り、心に余裕を無くして、ついイライラしてしまったりする方。
子育て、親子関係、夫婦関係、職場の人間関係でお悩みを抱えていらっしゃる方。
そんな繊細なあなたが、自分の心に向き合い、自分を大切にするバランス感覚を養って、
生きづらさを解消、人生を好転に導くサポートを、カウンセラーとして活動しています。
カウンセリングでは、より効果的に行う上で、カウンセラーとの相性も大切です。そんな観点からも、是非プロフィールをご覧ください。
‘幼少期は母親の過干渉が続き、うっとうしさを感じる日々!’
私は、公務員の父のもと、母親との3人家族で一人息子の長男として育ちました。
幼少期から、極端に心配性で神経質な母親の過干渉な状態がずっと続き、うっとうしく感じながら育ってきました。
元来感受性が強く、周囲の感情・思いを察知しやすい子供でした。
もともとのんびり屋だった性格が、日々心配性の母親から繰り返される、細かな口出し・過干渉等を背景に、段々と神経質な一面の影響を受けてきた感じでした。
‘母親の過保護・過干渉の影響か、引っ込み思案で自信が持てず、自分の意見が言えない子供時代!’
親の過干渉は、一見すると、親から愛情をあまり注がれていない状況と真逆に見える感じです。
しかし、子供のことを本当に愛して、主体性をもって成長することを支援するような接し方とは、全くかけ離れている状況でした。
その結果、自分になんとなく自信が持てなかったり、引っ込み思案で、人を慮って自分の思うことが言えなかった子供でした。
また、過干渉な母親からは、常に人に気を遣うことの大切さを必要以上に言われ続け、周囲を気にし過ぎて、気を遣うことばかり。
そして自分自身を大切にできないでいる。そんな心のクセをずっと引きずり、生きづらさを感じることもありました。
父親においては、あまり私に関わってこようとせずに、何かあれば、小言ばかり言う状況でした。
そんな両親でしたが、共にとても地味で真面目な性格で、その影響も多分に受けて育った幼少期でした。
‘引っ込み思案で、人前で発言したり目立つのが大嫌い!なのに、担任からは学級委員におされる!’
小学生時代から中学校時代位までは、おとなしめで、自分の思いを外に表現することが苦手だったり、目立つことがあまり好きではありませんでした。
しかし、気楽に話しやすい雰囲気があったり、多少勉強もできたこともあってか、クラス担任からは学級委員や生徒会役員をやるよう頼まれ、しぶしぶやることも。
しかし、基本的には人前に出ていくタイプではなく、内気な面を抱えていたため、
心ない人から、自分の心の敷地に土足で踏み込まれ荒らされるようなことをされても、相手に言い返したりNOを言えず、嫌な思いを引きずることもありました。
‘自らの真面目さと潔癖さから、ストイックな受験生活で、学生時代につらい経験!’
中学3年時に、初めての高校受験にあたり、親譲りの真面目さや生来の潔癖さから、ストイックに受験勉強一色の生活にシフトしました。
夜の時間に電車を乗り継ぎ、遠くの受験専門塾に通い、ひたすら暗記勉強に打ち込む、無味乾燥な生活を送っていました。
しかし、やがて心身の調子を崩し、中学3年の2学期には約1ケ月ちょっと学校を休学することに。
そして、両親が学校に相談し、親の薦めで、しぶしぶ、人生初の神経内科を受診。
そこで紹介されたカウンセラーから、郊外の療養施設での療養生活をすすめられて、嫌々ながら行くことに。
‘ストイックな受験生活から一転、10代後半に、人生初めて心理療法に触れる!’
そこでは一切受験勉強から離れた生活で、最初はかなり違和感だらけでした。
そんな中で、他の入所者との交流や心理療法を通じて、心と体のバランス治癒に向け、専念することになりました。
そんな療養施設の生活を通じて、ちょっとずつですが、心身のバランスを崩してまで難関校受験にこだわることに、違和感を感じてきました。
そして、受験の執着を手放すことを少しづつ意識して、心身のバランスを少しずつ回復させ立て直し、ようやく学校にまた復帰して、なんとか元の生活に戻ることができました。
‘仕事で一番忙しい時期、次々とプロジェクト案件対応が続く日々!’
その後、30代後半から40代にかけての話になりますが、その当時は仕事で、次から次へと各種プロジェクト案件チームに組み込まれる展開となりました。
通常業務のような一定仕事と異なり、プロジェクト案件対応では、その都度、立ち上げ準備・試行対応・案件対応内容の確認検収・プロジェクト完遂といった流れの中、
予算や期日が設定され、なんとか期日内に対応できるよう、日々深夜残業が続いたりしていた状況でした。
‘そんな仕事で一番忙しい時期に、一人息子として両親同時に介護が必要に!’
そんな状況で、最初は実家にいた父が内蔵疾患や脳梗塞で倒れ、更には看病していた母も脳梗塞の病で倒れることに。
幼少期より、過干渉状態が続いて苦労した親子関係でしたが、いざ高齢になり両親の弱った姿を
目の前にして、自分しか世話をできる人間がいない環境で、意を決して対応することにしました。
私は実家から離れた自宅から、週末は両親のそれぞれ異なる病院への見舞いや、各々の担当医師とのやり取り、
更には、平日の夜も、心が弱った両親を時に励ましに、会社帰りに病院に出向くこともありました。
また、忙しい日中の仕事時間中にも、突然、病院からの緊急電話で、医師から、親の生死に関わるような、即座に対応すべき処置の判断を急に問われて、心臓バクバク・ハラハラドキドキ!と。
また、そんな日の夜は急遽、病院に見舞いに行くといった状況も幾度かありました。
‘更に、仕事が多忙な時期に、両親の介護が重なり、更に子供のケアも重なり、つらく涙する日々!’
また、30代半ばで生まれた長女も、この頃から発達障害を抱えていることが判明しました。
小学校1年時に普通級のクラスでうまく対応できず、個別支援級にいくことに。親としてショックでした。
そんな中、日常の子供のケアは主に妻に任せる一方、私は、時には妻を帯同しながら、小中学校の校長・個別支援級職員との相談対応を行ったり、
地域の療育相談施設職員と、娘の対応に係るやり取りを、妻と協力して行ったりしました。
しかし、自分の両親のケアには、妻は一切巻き込ませないよう意識していました。
が、時にプロジェクト仕事の労働環境もきつかった状況の中、心がつらくなり、思わず夜空を仰ぎ、涙した日々も何度かありました。
‘多忙な仕事環境、両親両方の介護、子供のケアを同時に抱えて、キャパオーバーになりそう!’
そんな状況で、両親の最悪の事態も日々念頭に置きつつ、一人息子としてやれる範囲の対応として、
病院・施設への転院・転所対応、見舞い、医師等との対応を、ずっと取り組んでいました。
医療報酬制度の影響等から、一つの病院に長くは入院できず、定期的に、父・母それぞれ、受け入れ可能な長期療養病棟・介護老人保健施設探しと、
両親の入院・リハビり支援等を地道に仕事等の合間を縫って行っていました。
しかし、本来なら、40代といった自分の職業人生で、自身の進むべき道・キャリア形成の仕上げを、
真剣に見つめ考えるべきこの時期に、私は、自分自身の将来のことは、一切考えられなかった状況でした。
また、同時に抱える様々なことを、ストイックに完璧にこなすなんて無理!と心が何度も折れそうになりました。
こんな状況から早く逃げ出したい、いっそ何もかも全て無くなって楽になりたいと思うこともありました。
‘そんなつらい時期に、心を楽にしたいことから心理学を学びはじめ、バランス回復に!’
そんな状況下、少しでも心を楽にしたいと思い、10代の頃の心理療法のことを思い出し、関連する心理学・マインドセット等の書物を自ら読み起こしました。
そして、そんな中で、目の前に起こっている状況に、完全に心が支配され、渦中に捉われている自分から、一歩引いて観ることをしてみたり。
また、カウンセリングを通じて、人に相談することで、自分では気づけない自分の状況を客観視したり、自分の心を見つめ直してみることもしました。
精神的にもクタクタの中、もう完璧主義を捨てて、やれる範囲でOK。真摯に対応している自分自身に愛着を寄せて、ほめてあげたりも。
そうして、目の前の事(プロジェクト案件仕事・父と母の介護・障害を抱える子供のケアに、あまり無理をせずに、
自分の心が、何かの大きな不安や目の前の状況に、執着してとらわれないよう、バランスを意識して、対処していくことが少しづつできるようになりました。
‘仕事、両親両方の介護、子供のケアを同時に抱えて、苦しかった胸の内を相談、涙があふれて!’
そうこうするうち、最初は母が多機能不全で亡くなり、その1年後に、後を追うように父も亡くなりました。
いつかは両親が亡くなるこの時は来るものと知っていても、自分としては、
「もっと両親への対応で、何か自分として、できることがあったのでは?」と、時に自分を責めたりして、時に苦しい思いを感じたりもしました。
そこで、母の入院先だった病院長に、自分のこの思いを涙ながらに打ち明け相談しました。
すると院長は、「今まで親に真摯に付き添われてきたあなた程、両親のケアを行っている人はいませんよ。」
と優しい励ましの言葉を頂いて、また涙があふれ、心が救われる思いをしました。
人に心の弱い部分をさらけ出し、カウンセリング相談することで、救われることがあることに気づかされました。
その言葉を励みに、「天は必ず見てくれている。どこかできっとこの苦労は何かに役立つはず」と、次の一歩を力強く進めることができました。
‘心理療法ってすごい!苦しみと向きあう中、寄り沿ってもらい無事乗り越えられた!’
こう振り返ると、中学3年の受験生活で、もがき苦しみ、若い頃初めて、いやいやながらも、心理療法の助けを借りつつ、なんとかかんとか立て直しをしたこと。
そして、今度は大人になって、人生の苦悩を同時に経験。今度は自らの意思で、カンセリングを通じて、心理療法と向き合うことに。
この大人になってからの、つらく苦しい経験を乗り越えるため、自ら進んで心理療法を学んだり、カウンセリングを通じて、相談できたことがとても大きかったです。
仕事で最もつらく厳しい時期に、両親の介護との両立、子供への対応といった状況を、
執着心に捉われず、自身を慈しむ心のバランス感覚をしっかり保って、なんとか心身の調子を崩さず、無事に乗り越えられたのだと思います。
´個々人が自分自身を大切にして、人生を好転させ、幸せを実感できる社会を目指して!‘
現代社会においては、私たちは人生で、様々なストレスに身を晒されています。そして、ちょっとしたことで不安になったり、重苦しく感じたり、落ち込んだりすることも。
そのような中、他人の思惑に左右されず、自身の心の内面・感情と向き合い、マインドを大切に育くむバランス感覚は大切になります。
人生において、主体性をもって人生の舵をハンドリングすることは、とても重要です。
それには、ベースとなる幼少期での、親からの愛着のバランスの欠如を自らが補って、
人生で起こりえるな様々な心理的な負の連鎖に気づき、早い段階で断ち切って好転させられるように意識できることが大切です。
現在は、自分自身の苦労してきた人生経験と共に、専門的知識を活かし、愛着バランスメソッド/心理カウンセラーとして活動しています。
日々の忙しさの中、自分自身を大切にできず、生きづらさを感じている方々を救い、
人生を好転させ、自身が持つ可能性を最大限に見出す支援をしております。
多くの方が幸せな人生を実感できる社会を、次世代の子供たちが明るく生きられる社会を目指していきたいと思っています。
あなたの明るい未来を応援します。